紫煙の迷宮
『勝手にしやがれ』・『気狂いピエロ』のジャン=ポール・ベルモンド、アラン・ドロンのように二枚目ではなかったが、最高にカッコよかった!そういえばいま新しい恋人の登場で世間をにぎわせているサルコジ大統領にちょっとだけ似ているかも。劇中ではいつもタバコを銜えていた。僕がタバコを吸いだしたのも彼の影響大。
僕も映画やテレビの中で小道具としてタバコをいかに効果的に使うかを真面目!?に研究した。両切りかフィルター付きか?長いか短いか?パッケージがハードかソフトか?マッチかライターか?役ごとに考えた。
しかし最近では使いにくくなった。気が付けばテレビでタバコのコマーシャルが流されなくなった。撮影現場でもタバコを吸う人間の数が激減している。
これからはタバコの代わりに何を使ったらいいのか?
そうだ!!
追い詰められ苛立った犯人が、ポケットから取り出した『ニコレット』を忙しげに噛み出し、事件が解決しホットした刑事が、おもむろにシャツの腕をたくし上げ、『ニコチネルTTS』を貼り付ける。
これは使えるぞ!?
警視ーK『コルトガバメントM1911』(1980)
自宅の電話が鳴った。受話器を上げると、「カツだ、アバコスタジオまですぐ来てくれ」「・・・どなたですか?」「カツだよ」「カツ?」「カツシンタロウだ!!」「カ・ツ・シ・ン・タ・ロ・ウ?・・・カツって、まさかあの勝新太郎さんじゃないですよね?」「そうだよそのカツだ!」「冗談は辞めてくださいよ,ほんとうは誰ですか?」「冗談じゃないよ」「声は似てますけどねッ」「本物だよ」「じゃ座頭市のセリフ言えますか?」「バカヤロウ・・・しょうがねえなァ~『そこをお歩きのお武家様・・・』どうだ、本物だろ」
ウソだろ!!!本物の勝新太郎さんだ。
「失礼しました」僕は受話器に向かって何度も頭を下げた。
「いいからすぐ来い」「ハイッ~すぐ行きます」
僕は車を飛ばしてスタジオに行った。
「オマエだけだよ、この俺に勝新太郎やらせたのは、面白しれえなガハハハハ~。名前、俺の娘と一緒だなァ、これからはまさみって呼ぶぞ!」「ほんとうにすみませんでした。まさか勝さんから電話が来るなんて・・・」「もういいよ、そんな事より、まさみどんな役やりたい?」「・・・どんな役って?台本は?」「俺が刑事でまさみが犯人、これだけが決まってる。台本はこれからまさみと二人で作るんだ。面白いだろ!」「エッ、で・・・監督はどなたが?」「俺だよ」
そんなやりとりが勝さんとの出会いだった。
台本作りから撮影まで毎日が驚きの連続だった!
詳しくはいま言えないので・・・後日・・・。
TVKといえば
1979年、TVK(テレビ神奈川)でお昼の生ワイドのキャスターをやった。タイトルは『堀内正美の春です60分』。期間は?忘れた。タイトルからすると三ヶ月ぐらいだったのか?。月曜から金曜まで日替わりでメインキャスターがいた。作曲家の服部克久さん・早稲田大学教授の加藤諦三先生、ほかの方が誰だったか?は忘れた。その頃はワイドショーのブーム。ダントツの人気だったのは川崎敬三さん。いまの、みのもんたさんのような存在だった。
僕にこの話を持って来たのは女優の原知佐子さんだった。「まちゃみ、キャスターやんなさいよ」「エッ僕がですか?出来るかな?」「大丈夫よ!私がやってたんだから」。それまで原さんがされていたがその後任に僕を選んだのだった。
カメラのレンズを絶対見てはいけない俳優が、カメラのレンズを見て話すキャスター役にはじめはずいぶん戸惑った記憶がある。
ゲストは僕の知人を総動員。森繁久弥さんを筆頭に、馬渕晴子さん・井上孝雄さん・秋野陽子さん、そうそう『知的悪女のすすめ』でデビューしたばかりの作家の小池真理子さんにも出演していただいた。番組終了後に中華街でご馳走するという約束で
、全員ノーギャラ。
命日
1999年12月10日朝、父は彼岸へ旅立った。四ヶ月に及ぶ闘病生活だった。
僕は出来る限り病院に泊り込み付き添っていたが、10日の10時から神戸で、『1.17希望の灯り』建立の記者発表が決まっていたので、一晩だけ神戸に帰って来た。病院の先生も、「年は越せるから一日ぐらい居なくても大丈夫ですよ」と、おっしゃってくださったので・・・。
10日朝、朝食をとっていると、友人から「お父さんが危篤状態になったからすぐ戻って」との電話が入った。僕は息子二人を連れて家を出た。
新神戸駅の窓口でチケットを買うと早足にホームに向かうエスカレーターに乗った。
エスカレーターの途中で携帯が鳴った。
「・・・お父さん、いま亡くなった・・・」
写真は、父の監督作品に出演した二作目で、結婚差別がテーマだった。一作目『炎よ創れ』の時は、監督と俳優であり、父親と息子であるという関係にぎこちなかったが、二作目は、監督と俳優の関係に徹して仕事が出来た。
この作品で僕は、映画監督の父を尊敬し、そんな父を誇らしく思うようになった。
「一打ち二打ち三流れ・・・しまった、あれは」
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忠臣蔵の季節になりましたね。
この作品の撮影,大変苦労しました。
僕が演じた清水一学という役は 、この作品まで骨太の俳優さんがされてきたようで、東映京都撮影所にカツラ合わせに行くと、「何でホリウチなんや?」「ホリウチッちゃん辞めとき、恥かくだけやで」と、撮影所中が大騒ぎでした。
僕をキャスティングしたのは、『太陽にほえろ』など、青春ドラマをプロデュースされてきた岡田晋吉さん。東映サイドは、一学役に伊吹吾郎さんを考えていたようでした。あまりのブーイングに岡田さんに電話しました、「・・・現場が険悪で、降ろしてください・・・」と言うと、岡田さんは、「マサミ気にすることないよ、堀部安部衛も勝野洋がやるんだぞ、今度の作品は青春ドラマなんだから、マサミは苦悩する一学を演じてくれ」と言われました。
現場で苦悩し、役で苦悩した、青春ドラマ『忠臣蔵』、お時間がある時にでも一度ご覧ください。
ナイショの話「この作品が放送されて僕は、陣が最高にうまい俳優として大評判になりました。そしてそれ以降、剣豪の役が殺到しました。・・・ですが・・・実は僕は殺陣がうまくありません。吹き替えをあの名斬られ役福本清三さんがしてくださったのです。そのへんもチェックしていただけると楽しいかもしれませんよ。」











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